What Hawk Think...

主に映画に関して書きます。Filmarks(TheHawk0356)

【アカデミー賞】さらばエンターテイメント ?

アカデミー賞の変化

従来のノミネート

以前、このブログでは、
アカデミー賞がつまらない」という記事を
書いた。

what-h4wk-think.hatenablog.com

この記事の中では私はつまらない理由を以下の
内容と考察している。
「ノミネート作を選ぶ人間は映画を職と
するもので、私達一般人とは考え方が違う
だから、私達はオスカー受賞作に
納得できないのだ。
故に、アメコミ映画のようなエンタメ作品は
どれだけ楽しかろうと、受賞できないのだ」
と。

しかし、それは受賞作に限った話だ。
ノミネートという点では、違う。
ノミネートだけされたという意味では、
エンタメ作品だって選ばれることはある。
その例が
マッドマックス/怒りのデス・ロード
である。

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この作品は多くの人間を魅了した。
アクション・デザイン・世界観と
どれを取っても素晴らしい作品だった。
加えて、映画制作としても驚く点がある。
CGを極力使っていないのだ。
だからイカれた車も実在するし、
砂漠は本物だし、破壊も本物。
そして何より火を吹くギターも本物だ。
おそらく、このCGを使わないという
徹底した姿勢が評価されて、
ノミネートされたのだろう。

つまり、アカデミー賞を受賞できずとも、
ノミネートだけで言えば、私達の大好きな
アクション映画だって、選ばれるのだ。
時には批評家だって、賢くバカやってる姿は
好きなのだ。

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未来のノミネート作

しかし、アカデミー賞変化が起きた。
元々、アカデミー賞には好み(傾向)があった。
それはマイノリティである。
これは、既に以前の記事でも示しているが、
彼らはマイノリティの様な問題を取り上げた
作品を選びがちなのだ。
最近の作品で、一番わかりやすいのが
ボヘミアン・ラプソディ」だ。

ボヘミアン・ラプソディ (字幕版)

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主人公は、バイエイズであり、
人種として自身も悩んでいた。
アカデミー賞はこんな作品が元々、
選ばれやすかった。

そして、起きた変化。
それは、
マイノリティ要素がなければ選ばない
という、極端なものだ。

www.huffingtonpost.jp

▲の記事に書いていることをまとめると、
映画に関わる人間に白人ばっか使うな。
さもないと、作品賞には選ばん!
ということだ。
それだけなら別に問題ないし、マイノリティの
待遇が改善されるんなら良いように見える。
ただこの「映画に関わる人物」が問題だ。

映画に関わる人物は大量にいるが、
正直なところ、裏方はあまり気にならない。
だって、映画で見えないんだもの。
そこに関しては、まさに職場改善で、
他の業種も真似できるような、
マイノリティへの待遇の形を積極的に
示してくれればいい。

今回の新しいルールで示されたのは、
制作スタッフや新しい人材に宣伝活動等で
マイノリティを起用しろという話だ。
基準値以下なら、作品賞には選ばんよ。
という事らしい。
だが、さっき行ったとおり観客は
裏は見えない、見るのは表だ。

表、つまり実際にスクリーンに映るものだ。
それこそが、私達観客が見るものである。
今回の新ルールの影響範囲で
観客が見られるの例として、

  • 俳優
  • ストーリー
  • 作品のテーマ

が挙げられる。
アカデミーはこの3要素に変化を求めている。

俳優での問題は少ない。

主演か助演の重要な役には、マイノリティの
人種や民族の俳優を使え
脇役には人種・LGBTQ・障害マイノリティ使え
多少、キャラ設定に影響が出る可能性もあるが、
悪いことではない
むしろ、様々な俳優が出る機会になるので、
活発になる可能性だってある。

問題はテーマとストーリーだ。
作品の扱うテーマとストーリーを制限する。
という点だ。

テーマの制限

最悪のルール。
ルールとしてはこうだ。
女性・人種・LGBTQ・障害者を
テーマ・ストーリーの軸にしろ
つまり、テーマ及びストーリーを制限する
という意味だ。
製作者は自分の作りたいもの、
観客が見たいものを作っているのに、
良い作品を選ぶ側が、
テーマを決めつけてくるのだ。
これでは、製作者は自由に作れない
こんな考えをする人物も出てくるかも
しれない。
「売れるためには映画人の評価がいる
そのためには、相手の決めたテーマで
勝負するしか無い。
自分が作りたい方向性を曲げてでも
と。

つまり、ストーリー及びテーマという
作品の軸になる部分を制限するというのは
多様性を重視したつもりが、
映画の多様性を欠落させるという
最悪の自体を引き起こしかねないと
私は考える。

注意

ここまで、アカデミー賞の新ルールを
批判してきたが、注意してほしい事がある。

対象

対象はアカデミー賞全てではない。
作品賞のみだ。
もし、全部なら最悪どころの話ではない。
音楽なんてとばっちりもいいところだ。

ルールのクリア条件

新ルールは全て満たす必要はない。
以下の4ルールのうち2つを満たせばOKだ。

この4つだ。
つまり、制作スタッフとマーケティング
ちゃんとマイノリティの基準を満たせば、
私の言う表の部分である、
俳優やストーリー、テーマには
全く影響しなくなる。
つまり、マッドマックスのような作品も
ノミネートどころか受賞のチャンスだって
まだまだ十分にある。

個人の意見

これは私の個人的な意見である。
だが、私はマイノリティと呼ばれる方々を
嫌っているわけではない
私が言いたいのは、
映画は自由に作って欲しい
ということであり、マイノリティには関係ない。